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ヨーロッパよじれ旅①「ドイツ・オーストリア編」 [ヨーロッパよじれ旅]

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 「ジュースはいかがですか?」
 美人のスチュワーデスさんの何度目かのすすめを丁寧に断ると、私は再び窓の外に目をやった。
 1989年8月22日、午後11時…。
 なが~い1日である。日本時間ではもう夜中だというのに、この飛行機から見える景色はどうだ? いつまでたっても青い空と、白くひろがる雲の海ばかりではないか。

 私を乗せたJAL405便が成田空港を飛び立って、すでに11時間。予定だとあと1時間ほどでパリのシャルル・ドゴール空港に着くはずである。時差が7時間ほどあるから、パリはまだ午後5時ごろのはずだ。
 今回の旅は、私にとってはじめての海外旅行になる。ドイツ、オーストリア、スイス、フランスなどをまわり、その間にオーストリアの国立ギャラリー、パリのルーヴル美術館、オルセー美術館、オランジェリー美術館などを訪ねようと思っている。


 ポンという音がして、機内の表示板に「禁煙」のマークが点灯した。いよいよ着陸だ。すばやくシートベルトを締める。着陸失敗→爆発→炎上というシーンが頭の中に浮かんでは消える。こんな思いを、この10日間で何度も味わうのだと思うと気が滅入ってくる。
 パリでは飛行機を乗りかえるだけで、飛行場からは一歩も出ない。本格的にパリに入るのは7日後だ。今日はすぐにルフトハンザ機に乗りかえてドイツのフランクフルトへと向かう。
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 JALとは比べ物もないくらい狭くて、揺れもひどいルフトハンザ機で、(気圧の関係だろうか)耳の痛みと闘いながら、やっとの思いでフランクフルトに着くと、すぐさまバスに乗りかえて、その日の宿である「ホリデーイン」へ。やっとこさでベッドにありつき、その日は死んだように眠る。
 
 翌23日、24日はバスの旅だ。ロマンチック街道を進む。
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 クライマックスはノイシュバンシュタイン城。カレンダーなどでよく見るあの白い城だ。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなっているという。わりと新しい建物(100年ほど前に建てられた)だというのは少し意外だったが、大自然の中にそびえ立つその姿は、やはり華麗そのもの。
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 25日。バスはドイツ国境を越えてオーストリアに入る。2時間ほどで音楽の都ザルツブルグへ。モーツアルトの生家、大聖堂などを見てまわる。街のあちこちで、先日亡くなった指揮者カラヤンを偲ぶディスプレイが目立つ。ザルツブルグ音楽祭も今年は寂しい。
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 夕方近くウイーンに着く。居酒屋にてアコーデオンとヴァイオリンの生演奏を聞きながら、名物のウインナー・シュニッツエル(子牛のカツレツ)を食べ、ホイリゲ(今年できたばかりのワイン・白)をジョッキでしこたま飲む。美味!
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 26日、ウイ―ン市内へ。いよいよ「オーストリア国立ギャラリー」を訪ねる。パリのルーヴル美術館も楽しみだが、今回の旅では、ここを見るために来たといってもいい。グスタフ・クリムト、エゴン・シーレなど、ウイ―ン19世紀末芸術を飾った画家たちの代表作が、ここにはそろっているのだ。

 「オーストリア国立ギャラリー」は、ウイ―ン旧市街の南に位置する観光地ヴェルベデ―レ宮殿の中にあり、ここの宮殿の庭を訪れる観光客で賑わっている。クリムト、シ―レ目当ての旅行者も多いらしく、ガイドさんに場所を聞くと「クリムトとシ―レですね」とにっこり笑って答えてくれた。

 グスタフ・クリムトとエゴン・シーレは、ともに19世紀末に生き、現在もなおウイ―ンを代表する画家であり続けている。クリムトはシ―レよりも28歳年上で、ウイ―ンの繁栄を担う画家として、街のリンク通りにそって建てられた建造物の天井画や装飾画のほとんどを手がけ、若くして成功を収めた。背景は金箔を模して描いたといわれる「接吻」などの代表作に見られるように、クリムトの絵は装飾的で、日本にも多くの愛好者がいる。
 シ―レはクリムトの援助を受けてデビューし、クリムトの装飾的な絵とは対極的な、ときには目をそむけたくなるほどの、剥き出しの生々しい絵を描いた。彼は人間の見せかけの外観を剥ぎ取り、その下にある本当の姿をあからさまにしようとしたのかもしれない。
 19世紀末、すでに崩壊寸前だったハプスブルグ帝国(オーストリア=ハンガリー君主国)の中心都市ウイ―ン。街を環状に囲むリンク通りの内側では、毎夜、舞踏会が催され、ワルツの調べが響いていた。しかし、通りの外側には貧民があふれ、職にあぶれた人たちが街のあちこちで、肩を寄せあい細々と暮らしていた。クリムトはリンク内の没落してゆく社交界の人々の姿を余すところなく描き、シ―レは外の人たちの苦悩の叫びと怒りを描いた。

 クリムト、シ―レの展示室は2階にある。日本でいうと3階なのだが、ヨーロッパでは2階を1階、3階を2階というのだ。このことは本を読んで知っていたはずなのだが、「2階だよ」と受付の人にいわれ、日本でいう2階を「ないぞ!ないぞ!」としばらくの間うろうろして、貴重な時間を失ってしまったりした。
 階段をのぼると、まずシ―レの部屋、続いてクリムトの部屋があった。私は何度も往復し、ひとつひとつの作品を丹念に見てまわったが、最も目を引いたのは、シ―レの部屋の窓際近くに展示してあった「家族」という作品である。うずくまる母と子を包み込むようにした父親の姿を描いたこの作品はシ―レ最後の作品で、それまでのシ―レの作品とは違って、暖かな生命力に満ち溢れている。この作品を描く3年ほど前に結婚した妻エディットに、初めての子どもができたことが、その理由かもしれないが、不幸にも、妻エディットは、その子どもを産むことなく、当時ヨーロッパで爆発的に広がりつつあったスペイン風邪のため亡くなってしまう。そして3日後、シーレ自身も同じ病気のために、28歳の若さで亡くなってしまうのである。
 手を伸ばせば届きそうなところにありながら、手に入れることのできなかった「家族」との幸福。この絵を見ていると、どうしても胸が熱くなってくる。

 しばらく絵の前で立ち尽くしていたために、バスの集合時間に少し遅れてしまった。「すいません、すいません」と言いながら座席に着き、小さくなっていくヴェルデベーレ宮殿をしばらく見つめていた。
 バスはこれからウイ―ンの森へと向かう。明日はオーストリア航空を使ってスイスに入る予定だ。


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